LICENCE

資格とは

足の裏にこびり付いた飯粒・・・だとか。

曰く、
取らなければ気持ちが悪いが取っても食えるものではない。

資格を持っていても廃業する者が後を絶たないし、持たずに「整体院」を開業して成り立つこともある。

整体は「人の健康を害する恐れのない範囲」で認められた職業としてRelaxationを目的としている。

国家資格は不要とされているが実際は腰痛、肩こりを始め様々な慢性痛や不定愁訴の緩和や除去を謳い、無資格で続けていくには後ろめたさが払拭できない。

それでも、
小規模なら「食っていく」程度の生活まで脅かすほど不寛容な社会ではない。

しかし、
カリスマなどと呼ばれ有名にでもなればやっている事が国家資格不要のRelaxationではないだけに法による規制の不安や有資格者からのバッシングも免れずストレスは計り知れない。

例えば、功成り名遂げた人物の学歴や経歴の汚点は「いつか世間に知られるのではないか」と言う不安が本人にしか分からない懊悩呻吟となって学歴や経歴を詐称してしまい世の失笑を買うようなものである。

資格と無資格の差

資格者と無資格者の差は有名になり始めた時に表舞台に堂々と出られるか否か、要らぬバッシングを耐えずに済むか、公的融資を受けようとした時に資格の有無を問われ赤面する程度の事。

だから、技術を向上させて人々から支持されるようになっても無名でいれば痛痒を味わうこともないのだがどうしても目立ちたい、有名になりたいと考えるのなら資格を取っておくことが賢明だろう。

無資格者の小気味良さ

痛みに悩む人々の救いとなる治療技術が流布するのであれば、治療院であれ整体院であれ開業者が増える事は歓迎すべきだから無資格者のセミナー参加も吝かではない。

しかし前述の如く無資格による有形無形の損失を避ける事や技術形態の問題(厚労省の定義)を回避するためには看板を出さず、宣伝をしない当院のスタイルを踏襲する必要があるだろう。

そうすれば無資格者でありながら「治す」ことに長けた知る人ぞ知る治療家として一目置かれ、してやったりの小気味よさがあろうというものではないか。

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